神里達博の「月刊安心新聞+」
今年も花粉症の季節が来た。この病が「第二の国民病」と言われるまでに拡大した原因は結局、何なのか。
まず、世界で最初に報告された症例は、英国の医師ジョン・ボストックによるものだ。彼は1819年に、「目と胸部の周期的疾患の症例」という報告を書いている。それによると、毎年6月上旬頃になると目に炎症が起き、頭が重くなりくしゃみが出る。7月末頃には急性症状は治まるが、これが毎年繰り返される。「JB氏の症例」として紹介されているが、実は本人の話であった。
彼は研究基盤を広げるため同様の患者を探したが、9年かけて28件しか見つからなかったという。当時はまれな症例だったのだ。
ボストックはこれを「夏カタル」と名付けたが、その原因が「花粉」であることを明らかにしたのは、同じく英国の医師、チャールズ・ハリソン・ブラックレイだ。彼は自分を実験台に研究を行い、イネ科の牧草の花粉によるものだと突き止め、その研究成果を1873年に出版した。
同じころ、米国でも医師のモリル・ワイマンが「秋カタル」という病気を報告している。彼は、症状の出る時期が「ブタクサ」の開花時期と一致していることから、その花粉が原因ではないかと考えた。
このように英国や米国で花粉症が出現したのは、恐らく19世紀であると考えられる。この時期、英国では牧草地が拡大、米国では都市開発により生じた空き地にブタクサが広がった。それが原因で環境中の花粉が増え、この新疾患が現れた――そんな説明がなされることがある。
では日本ではいつ頃から知られているのか。「スギ花粉症」を発見し命名したのは、医師の斎藤洋三氏である。1963年に栃木県日光市の病院で彼が診た症例の報告が、最初のものとされる。それ以前は日本に花粉症はほとんどなかったようだ。
日本で患者が増え始めたのはおおむね70年代である。その原因としてよく語られるのは、戦後、天然林を伐採してスギを短期間に植えたため「単純一斉林」が生じ、それらが花粉産生の旺盛な樹齢となり、一度に多数の患者が現れた、というものだ。これは、先ほどの英米における花粉症出現理由の説明に似ている。
花粉症は代表的なアレルギー疾患だ。なんらかの「抗原」に対して免疫系が過剰反応を起こすのがアレルギーだから、まずは新たな抗原を生み出した「植物側の変化」に原因を求めるのは、もちろん間違いではない。
しかし、例えば日光の杉並木は江戸前期から立派に存在したわけで、「国民病」となった原因を、昭和期の植林だけに帰着させるのは少し無理があるだろう。また時系列的には、おおむね英米日の順で花粉症が拡大しているわけだが、これはそれぞれの国において産業化・近代化が著しく進んだ時期と、ほぼ重なる。当然、変化したのは植物だけではない。都市の人口は激増し、大気汚染も進み、働き方や家族の形態など、人々の生活の全体が激変したのである。
ならば問題の本質は、むしろ…